< 悲しくて・・・ >
その男の子はお兄さんの後について毎日バス停に出ていた。
とても元気な小さな子だった。
お兄さんが年長さんから転園して来たのと合わせて、
毎日送迎について来ていた。
お兄さんがちょっと登園を渋っても、彼はにこにこと手を振り、愛くるしい笑顔を振りまいていた。
そして兄の卒園と同時にその愛くるしいお顔は制服を着てやって来た。
すくすくと成長し、ちょっと恥ずかしがり屋の、でもバスの中では物真似をしたり、座席の下に隠れたり、愛嬌たっぷりの、どの子にもやさしい年長さんになった。
そんなある日の夏。
もうすぐ夏休みという帰りのバスで彼は腹痛を訴えた。
そのままお家へ帰り、なかなか痛みが取れず、病院での診察になってから彼はそれ以降、数度しかお家へ帰れなくなった。
闘病生活が始まったのだ。
こんな小さな体にたくさんの薬と放射線を受けて、だんだん体が拒絶反応を示していく。
何度もお見舞いに行くが、会えたり、会えなかったり、
なんと声を掛けたらいいのか、痛々しい体を前に、でも彼は力を振り絞って私たちに笑顔を見せてくれた。
こんな事もあった。
卒園式に出られないので、病院に証書を持ちこみ、簡単な式を行った。
点滴の瓶を横に添えながらもアルバムを見た彼は、とてもうれしそうに頬笑み、もうすぐ1年生を喜んだ。
彼の誕生日は1月14日。
卒園をしてもう10か月が経っていたが、彼にお正月遊びを見てもらおうと幼稚園の豪華キャストがカルタ取りやダルマ落とし、
コマ回しや凧上げの実演をDVDにまとめて、プレゼントした。
彼は早速病院のベットでそれを見て、「ワハハハハハ!」ととても楽しそうに大笑いをしたそうだ。
おまけに部屋でも出来るコマも渡したが、看護師さんたちに得意気に見せていたそうだ。
お母さんが、
「久し振りに笑う顔を見ました。
やっぱり子どもの笑顔はいいですね、先生。」と胸が詰まる手紙をくれた。
その文面には母の喜びと同時に、我が子の病気に希望を見出していた。
それからまた10カ月近く。
いつもいつも気になっていて、そろそろお母様に手紙を書こうかと思っていた時、
電話があった。
「先生、頑張りましたがダメでした。
2日の朝、息を引き取りました。」と・・・・・・。
悲しかった。どーーーーと悲しみが襲ってきた。
一時は希望が見え、幼稚園にももう一度遊びに来る約束だった。
寒い朝でも元気に外遊びをする在園児たちをを見ていたら、彼の姿が重なった。
どうして命の塊のような小さな子が、こんな大きな病気に罹ってしまうのか。
運命と言ってもそれでは割り切れない悔しさが残る。
神様を恨みたくなる。
彼の魂は安らかだろうか。
幼稚園での友達との経験は素晴らしいものだっただろうか。
残された兄は、幼くして命を終わらせた弟をどのように見送ったらいいのか。
そしてご両親の心痛は私たちでは分からない。
どれほど胸を痛めているか。
どうか天国の、友達がいっぱいいる広いグラウンドで、
思いっきり遊んで欲しい。
そしてDVDを見た時に見せたあの笑顔を、天国から、お父さんやお母さんやお兄さんに振りまいて欲しい。
もう体は痛くないよ、ゆっくり休んでいいよ、Oちゃん。
悲しい、悲しい一日となった。