< 生きる >
大震災から3カ月。時は待ってくれず足早に過ぎて行く。
過ぎて行くことがいい時と、なかなか進まない復興にいら立ち、時間を無駄にしている人々も多いことでしょう。
死者が1万5千人を超え、いまだに行方が分からない方も数千人いるとの事。
本当に多くの人々の人生を変えてしまったこの震災は私たちに何を残すのだろうか。
S先生も人生の悲しみを体験したが今日から復帰した。必死で仕事に専念しようとしている。傍で見ていると少し痛々しくも思える。
放課後には経験した事を話に来てくれた。まだまだ気持ちの整理はついてないようだが、同期や家族に支えられ、顔をしゃんと上げていた。
生まれた以上生き物は必ず死を迎える。誰でも必ず死を迎えるが、その時と状態はそれぞれだ。
分かってはいても、どのようにその時を迎えるのか、生きている過程の最大のテーマかもしれない。
大震災の中で命を繋いだ人々はきっと必死の思おいで今を生き、これからの人生を見つめているだろう。もしかしたらまだ見つめられる術もないかもしれない。その道筋は厳しく、苦難の連続だろうが、なんとか心を折らず生きなければならない。
身近な所でも人の死に接し、生きる意味をもう一度考えた。
子どもたちに 「死」 について話す時はそうそうないが、もし何かの死に接したら、きちんと見つめないといけないだろう。それが人であろうが、鳥であろうが、虫であろうが、命の重さを話さなければならない。
戦争で簡単に命を落としてしまう社会がまだ世界にはある。
そして今回の地震のように人の力ではどうしようもない出来事で、命を落としてしまう事象も世界中で起きている。
ついつい日常の出来事のように画面や新聞で通り過ぎてしまうが、実は一人一人の人生がそこで断ち切られる混乱は、凄まじい痛みと強烈なダメージと果てしない心労と疲労が付きまとう。
自分の死に様と同時に、私は今をどう生きるか。いろいろと考えてしまった。
もう一度被災地の復興が早く進む事と、人々の平安が明日にでも訪れる事を願ってやまない。