< 隣人へ捧ぐ >
幼稚園のお山に沿って2軒のおうちがあり、1軒は池が見渡せるすぐお隣にあたる。
そのおうちには子育てを終えたご夫婦が静かに暮らしていた。
ご主人は目を悪くして、杖を頼りによくお散歩をしていたのを覚えている。
いつの間にかお姿を拝見しなくなったと思ったら、介護施設に入居されていたそうだ。
そしてご婦人とはよく朝の見回りの際に言葉を交わした。
子どもたちは元気でいいわね、今日は暖かいわね、ウグイスはいつ鳴くかしら、池には何かいますか・・・・・・、などなど顔を合わせる度にいろいろな話をした。
久しく姿を見なくなってからのある日、
入院して胃を切除した事を話してくれた。
ご主人も調子が悪いこと、お子さんが二人いらしてそれぞれ独立し、お孫さんがいること。
子どもたちは心配して同居を望むが、自分はここが好きで、この山の空気の良さと、静けさと、この平屋が好きなことなどなど、
なんの縁(ゆかり)もない他人の私に、ご自身のあれこれを話してくれた。
私が幼稚園の先生だとは分かっていらしたが、あまりその立場を詮索せず昔の幼稚園のことや前園長(私の父)の話もしてくれた。
5月には毎年竹の子をお裾分けし、香りがいいお庭のフリージアを切らせてくれた。
好きなだけ持って行け!という。鉢植えの観葉植物も、誰もあげる人がいないから、と言っては手渡された。
毎年そんなやり取りをしていたが、まったく姿を見なくなって半年近く、2週間ほど前に訪問者が現れた。
私は急いで呼び止めて、ご夫婦の所在をお尋ねしたら、
その方は娘さんで、昨日お父様が亡くなり、昨年9月にはお母様が亡くなっていた事を話してくれた。
私は言葉に詰まった。
思わず涙が溢れ、お母様とのあれこれを思い出し、話が出来なかった。
二人で泣き崩れてしまった。
続けざまにご両親を亡くされ、生前のお母様の様子を思い出し、きっと悲しかったでしょう。
私もまさか亡くなられていたとは・・・・・。
また入院されて姿が見えないのかと思っていたのに・・・・・・。
お線香の一つもあげられず、今までのお礼も言えず、天に召されていたなんて。
せめてもの気持ちを献花にしてお渡しし、ウグイスの絵葉書に感謝の思いをしたためた。
本日お父様の葬儀のお礼に娘さんがご挨拶にいらした。
埼玉に嫁いでいらっしゃるとの事、お母様から聞いていたが、手紙をしたためた志を届けてくださった。
お手紙には、お母様との生前の交友に感謝の言葉があり、
不思議な縁を書き留めてくれていた。
お母様の戒名の中に、私の「逸」の字が使われているという。
娘さんも偶然とはいえ大変驚き、手紙にそのことを添えてくれたようだ。
人の縁は異なもの味なもの というが、
いつも山や子どもたちを優しく見守ってくださった隣人と、お別れは出来なかったが心が通じたように思い、
何かの縁(えにし)を感じながら、ただただ心からのご冥福を祈りたい。
合掌