< 物の大切さをどう、伝えよう >
もったいない!が世界の共通語になってもう数年過ぎているが、その言葉を生んだ日本ではどれほどの人がこの言葉の意味を実践しているだろうか?
先日カチューシャを落として探していた女の子に、見つかったそれを渡してこう言った。
「よかったね、見つかって。大事にしてね」
「いいの、家にたくさんあるから!」
ケロッとしてあまり嬉しそうに受け取らないその子にかける言葉がなかった。
もったいない。
物をひとつ手に入れるには自分で作るか、購入するしかない。
(魔法で出せる人は別ですが^^;)
懸賞で手に入れたり、宝くじが当たるのは日常の出来事ではないし。
物が溢れている日本では、何かが無くて惨めな思いをすることはあまり無いだろう。
無くなったらまた買えばいいのである。
そうじゃない事をどのように伝えよう。
職員の給食を時々チェックしている。
実は給食を残す先生が意外と多いのである。
私はその度に終礼で叱っているが、全員が完食できる日は年に1食あるのだろうか。
出されたものは全部食べる!これは一昔前の一部の人たちの心意気だったのだろうか・・・・・・。
もちろんアレルギーなどの場合は別だが、炭水化物をわざと取らないとか、ちょっと味付けが嫌いだからだとか、
それで子どもたちに「一口でも食べてみて・・・・」、と言えるだろうか。
昔韓国のりしか食べない子が居たな・・・・・。
もうすぐ大震災から4年が経つ。既に電気は使い放題、生活はまったく震災前の感覚だ。
あの時私たちは生活スタイルを見直したはず。
物の価値を十分知って、必要な時必要なだけを消費し、無駄をしないようにみんな考えたはずだ。
でも今はひとつなくなってもまだたくさんあるという生活に戻ってしまった。
そしてしっかりと食事を取らない癖が付いている若い先生たち。(若者かな?)
私はかろうじて物の少なかった時代に小学校時代を送っている。
「ごはんよーーー」で一斉に食べなければ、その日の食事はもう何もなかった。(兄弟も多かったので^^;)
薪でお風呂を沸かし、冷めないうちに家族全員が入ったし、練炭を熾してお湯を沸かした。(当番制で火傷も数回)
薪割りも兄弟順番でやったが、ある日足で薪を割っていた私は五寸釘を足の裏に見事に的中させ、松葉杖をついて学校に通った記憶がある。でも薪割は重要な子どもたちの仕事で、薪は大切に保管されていた。
(釘くらい抜いといてくれればよかったのに・・・)
ガスの風呂釜に変わってからは、扱いに慣れない妹が爆発させ、髪の毛をチリチリにした。子どもにさせるかな!!!(今では笑い話だが!)
昔に戻る必要はないが、子どもたちに物を与えるときに、そのものの価値や使い方、そしてその物質とどう向き合うかの精神まで伝えなくてはいけないと思う。
抜き打ちチェックで今日の給食の先生方の完食率は、7割である。
これはしょうがないことでしょうか・・・・・・。
物は大切でそれぞれに価値が有る。この価値を十分に使用・利用することでその価値は全うされる。
もったいない!精神を繋げていかなくてはならない。