< なぜ少年A >

また悪質な、大変無責任な交通事故が起きてしまいました。

18歳、少年A、他友達2名。

18歳は運転免許を取得できる年齢。

という事は、取得して車を運転した時点でその運転者に車の操作方法や道路交通法の順守など、全ての責任が負えると判断されての年齢である。

それなのにこの少年Aの認識や社会常識、道徳心はどこへ行ったのだろう。

この無謀な行動により、何の落ち度もない人々が命を落としている事をどう感じているのだろう。

この時点で被害者は日本国中に実名で報道され、自宅にもマスコミが押し掛け、親族や当事者にコメントを求められる。

日頃の様子まで調べられ、ガンガンと身辺が明かされる。

それなのに、なぜ事故を起こし、人の命を奪っているこの少年Aの名が明かされず、保護されるのか!

まだ未成年扱いならば、その未成年の管理監督責任のある親がマスコミに応じればよい。

免許も持たない少年Aがなぜ一晩中車を運転出来るのだろう。

誰の車なのだろう。その事を咎めたり止めたり、正したりしないのか!

よっぽどこちらの方が罪が重く、実名を証、最大の謝罪と共に少年にはこれからの人生で運転免許証は取得できないくらいの罰と覚悟を与えるべきだ。

京都の交差点に突っ込んだ男性も多くの人を巻き込んでしまい、一瞬のうちに人の命を奪ってしまった。

その中には初めて日本を訪れていたオーストラリア人のご夫婦がいたそうだ。

奥さんがこの事故に巻き込まれ、入院中と知りました。

大震災から1年。

少し落ち着いてきた日本に観光に来てくれた外国人が、あまりにも理不尽な事故にまき込まれたが、誰からも謝罪を受ける事も無く、いつ帰国できるかもわからず、毎日不安な日々を送っているのでしょう。

人災も突然やって来て、多くの場合普通に暮らしている人々が大きな被害を受ける。

しかし今の制度ではまず加害者の人権保護で被害者の人格は二の次だ。

何とも納得がいかないし、自分がどこかで被害にあったらどう成るのだろう、またどう思うのだろうと、ぶつける所の無い憤りを感じます。

命を奪われた小学生やお母さんの悔しさを思うと居たたまれません。

大けがを負った子どもたちの1日も早い回復を祈ります。

なんとかこの様な行動を取る子どもたち(敢えて少年Aを子どもとしましょう)を正せないのか。

やはり幼いころからの生活環境の充実や社会勉強の機会、心を養う自然との触れ合いや痛みを感じる生き物との係わり。

この様な場面を子どもたちには提供しなければならないとつくづく思うのです。

そして親の責任も重大である事も押さえておかなければなりません。

 

Filed under: 社会情勢 — itsuko 19:11