< 恐るべし、富士登山 >
今日からまた夏の幼稚園が開始です。
預かり保育も1週間のお休みをいただきました。
また子どもたちの声が戻って、やはりシーーーンと静かより、少しだけ!賑やかな方がいいですね。
さてこの夏の私のイベントは富士山へ登る事になりました。
最初から決まっていたのではありませんが、
新聞のチラシ広告に載っていた、
「あなたも1度は富士登山!」
に乗ってしまい、ご気楽な気分で行く事になりました。
そこそこ野山を歩いているので、半端な装備では行けない事は良く分かっていましたから、その辺は問題なかったのですが、
結果的に、登るも地獄、下るも地獄の日本一の山でした。
まず小雨の天気で五合目からスタートです。
最初は意気揚々と歩き出しました。
よし、登るぞ! ワクワクしていました。
富士山には多くの若者がやって来ます。
目にする人たちは学生や20代、30代のサークルや家族連れに外国人。
本来山歩きや登山が趣味の中高年のグループはまず見かけません。
多分これからご紹介する死闘にも似た現状が、そうさせるのでしょう。
そしてもう一つは、実際に歩くと5合目から上は玄武岩の岩山で、見渡す限り石ころの山なのです。
想像する山の魅力に欠けるのです。
(まあこれは私個人の判断ですが・・・・・・。)
簡単に登れると思っている外国人の中には、半袖・半パンツ・サンダルといういでたちの人もいます。
ヒールの靴で石ころ道を歩く人もいました。
観光客はこの5合目まででしょう。
これから先が地獄ロードへ入るのです。
ジグザク道を6号目まで登り、7号目の最後はほとんどロッククライミング。
両手両足で岩をしっかり確認しながら、グイと体を上へ持ち上げるの連続です。
ここ7号目で標高2,700m。
宿は、いえ仮眠をこの7号目で取りました。
この日はここ数年来無い混雑ぶりと言われるまでの大混雑で、人・人・人の富士山。
だからなのか、この山小屋はいつもこうなのかは分かりませんが、
なんと畳を立てに6畳ほど並べたうなぎの寝床のような場所に、女性だけで20人。
1畳に3,3333333・・・・・・人。
そして薄い布団の上に枕が置かれていますが、まず係の若いお兄さんが叫びます。
「枕は動かさないで下さい!」
で見た枕がなんと、産まれたての赤ちゃんが使うようなサイズも混ざっての、子ども用の枕。
ヒャーーーー、ここで寝るの!!!!!
身動きも出来ないほどの所で着替えも出来ず、靴下も替えられず、全身汗まみれですが何も出来ず、
歯磨きもせず、?化粧なんか問題外!山ですから^^;
夕飯を済ませてすぐ仮眠、2時間だけ。
その後食事をしたスペースにはすぐにお布団が敷かれますが、またまた出てきた枕が子どもサイズ。
後から到着した30代男性のグループがこの場所へ通されて出た言葉が、
「マジかよ!」
もちろん富士山は山小屋ですから想像はしていましたが、ここまできゅうきゅうに詰められて、殺気だっているとは思いませんでした。とにかく水がありません。
あれもこれも登山客が多いからの在り様なのでしょうが、まあ驚いてしまいました。
しかし夕飯のカレーライスは大変美味しかったです。
ごはんが少々固かったですが・・・・・。
2時間の仮眠ですぐ「ゴーゴー」と寝られる人はいいですが、
体を横にしなければ隣の人とぶつかってしまう所で、すぐに眠れるはずもなく、
うとうとしたのはほんの10分。
すぐに起きては出発の準備です。
この時間が午後8時30分。
頂上アタック開始です。(アルピニストみたい!)
雨はやんでいましたが、出発といっても登山道には列をなす人たちでごった返している中への割り込みです。
ガイドさんから深呼吸(高山病予防のため)の注意を何度も受けながら登り始めますが、
何とも自分の心肺機能の薄弱さに情けなく、
日頃どれほど体を動かして居ないかを痛感させれながら、
登っては休み、登っては休みでひたすら頂上を目指すのです。
装備品の中には「ダウンパーカー」とありますが、実際着用したのは9合目から上で、
やはり富士山にも温暖化は迫っていて、本8合目の3,100mでもあまり寒さを感じませんでした。
(ここで深夜2時ごろでしょうか。)
まだまだ登山は続きます。
狭い岩の道を人の波に押されながら、ツアー登山としての時間も守らなければなりません。
だんだんと標高が高くなり、眼下では雷雲が地上を覆い、雷鳴が聞こえます。
富士山で恐いのは風とかみなりと襲ってくる睡魔。
逃げ場が無い山ですから心配していましたが、この日は実に穏やかな闇でした。
残すは睡魔との闘いとなりました。眠りながらいえ、眠ったように成りながら山登りです。
そんなこんなでだんだんと空が近くなり、手を伸ばすと届きそうな星たち。
やっと日本一の山に登っている事を実感しました。
そんな時、見ました。ゆっくり平行して流れる二つの流れ星です。
これには感激しました。
宇宙から星のかけらが降って来て、大気圏に突入した証。
他にもサーーーと流れる短い流れ星はいくつも見る事が出来ました。
山頂アタックから8時間30分。
いよいよ頂上を目前にして日の出です。
つまりここで日の出を迎えてしまいました。夜なか中登って来て、
本当は日の出前に山頂に着く予定でしたが、混雑がひどくて前え進まず、間に合いませんでした。
午前4時50分。東の空全体がオレンジ色に輝き、お日様が登って来ました。
さすがに最高の眺めです。
地獄のような夜間登山の代償に、神様は最高のお天気をプレゼントしてくれました。
風もなく、雲(雲は全部もっと下!)も掛からず、標高3,776mからの日の出です。
「やった!登った。そして終わった・・・・・」
さすがに高い。他の物みんなが私の下にあります。
思わず拝んでしまいました。
これを求めて若い人たちが多いのでしょうか。
最高の天気に恵まれた日の出によって今日の新しい1日が始まりました。
しかし頂上は大混雑。まるでポケモンの展示会場のような人々で、頂上みやげを買う人たちの波でした。
ツアー旅行の性ですが、決めらた時間にその場所へ行かねばなりません。
心臓がバクバク心拍数を上げる私は、ツアー客の最後になってしまい、登った実感を満喫しないまま疲れと焦りで今度は下り開始です。
頂上での滞在時間はわずか30分。
この間に朝食に持たされたおにぎりを食べ、体力を回復させねばなりません。
あまりの疲れようにこの高さからの眺めを楽しむ余裕がありませんでした。
下りの地獄が始まりました。
登ってこなければよかった・・・・、と思わせる長い、長い、砂利と岩が点在する下り坂。
6合目までの1,380mをひたすら下ります。
登ったばかりの暑い朝日に照らされて、多くの人が歩く砂ぼこりをよけながら、ちょっと気を緩めるとすぐ足を取られてザザザーと滑る道をひたすら下ります。
無言で・・・・・。
私も3回ほど転倒してしまいました。
下り続けて約5時間。ほとんど休憩も取らず、水もなくなり歩き通しでした。
スタートした富士スバルライン5合目まで戻ったのです。
前日から合わせますと20時間30分の富士登山となりました。
その後は近隣の入浴施設で汗を流し、山梨名物のほうとううどん定食をいただき、
ただひたすら眠りについて、新宿まで帰って来ました。
こんなに大変だったんです、山登り。
3,776mの世界は空気が澄み、それはそれは素晴らしい(もっと人がいなければ・・・)所ですが、
やはりそこへ到達するにはそれなりの覚悟と体力と技術が必要でした。
参加者26人中、登頂したのは19人。
途中であきらめる人もいる分けです。
中には小学5年と3年の姉妹の家族連れがいて、
下の子は深夜に吐きながら、泣きながら、お母さんに説得され、でも降りたいとは言わず、登った子がいました。
大人でさえキツイのに、ほとんど寝ずに本当によく頑張りました。
富士山はどこから見ても美しい山ですが、やはり見る方が魅力的でした。
世界文化遺産への登録を目指しているようですが、
実際山本体は玄武岩に覆われた岩山です。
山小屋も趣があり、きれいとは言えません。
おまけに問題になっているトイレは大分改善され、山梨県も力を入れているようですが、やはり匂いがあたりに漂っていて、興ざめします。行った人みんな(私たち)が原因を作っていますが、解決は困難でしょう。
世界遺産への登録は難しいのが分ります。
しかし、その高さはなんと言っても日本一であり、日本一の日の出も雲海もここでしか見られないし、
自己実現に挑むには素晴らしい場所でしょう。
もし富士登山をお考えのご家庭がありましたら、
出来るだけ空いている日を選び、装備は十分に、そしてとにかく半端じゃなく大変な体力を使い、一畳に三人のスペースでも眠れる事が条件です。
2度と行かない!と思いましたが、
この様に書いていると、今度はツアーではなく自分で行って、もっと頂上での時間を取って、ゆっくり眼下を見下ろして見たいと思うように成りました。
私たちのガイドさんは71歳のベテランガイドさん。
山にまつわる自然や歴史などの興味深い話もしてくれて、やぱり最高の体験となりました。
今日はもちろん体中筋肉痛。
取れるまでにはしばらく掛かりますね。
私には宇宙体験に匹敵するような経験でしたので(宇宙には行っていません^^;)、カテゴリーを宇宙としました。
皆様も、「あなたも1度は富士登山!」に乗せられちゃって下さい。