現在学校評価のご意見をいただいているところですが、
その中にこんな疑問が記載されていました。
「ながつた幼稚園はSDGs宣言をしたのに制服があるのはおかしい」
というコメントです。
さて、国連の掲げたSDGs、169のターゲット/17のゴールには男女の社会的平等を強く謳っています。
そうです、その通りだと私も強く思っているところですが、
この事と制服が男女別にあることが直ぐに結びつくとは思っていません。
地方でも都内でも中学や高校が制服の選択をオープンにし始めました。
これは、「どちらを選んでもいいよ」、という表示であって、制服を廃止する必要があるかの問題ではないのです。
生物学的には動物植物全てで性は存在し(雌雄同体の生命体もありますが)、それぞれの役割を担っています。
それも忠実にその役割を熟していて、現在まで種が保存されてきました。
そしてその生態や繁殖は大きく環境によって左右されてきたわけです。
そこで制服に戻りますと、幼児期の子どもたちに男女の価値を同等に感じさせる、又はみな同じ権利を持っていることを肌感覚で身に付けさせることを目標としているながつた幼稚園のSDGs宣言では、
いきなり男女差が分かる制服を否定するのではなく、
今の自分に合っている服を選ぶということでしょう。
制服は私立学校にとってはその校風や存在価値をアピールする大切なアイテムです。
ましてや幼児期ならではの、着用してみたい衣装の一つでもあるでしょう。
職業によってはその制服が着たいがためにその仕事を選ぶ方だってたくさんいます。
要は自分をアピールする重要な要素になっているのが制服だとすると、
男女平等=制服の廃止にはつながらないと考えます。
もしも今後、幼児期でもズボンやスカート、夏のポロシャツやワンピースを着たい方で選びたいとなったら、
その時にユニセックスの制服を取り入れるとか、
男女関係のない制服スタイルに変更するなど、考えてみたいと思います。
今のところは保護者の方の当たり前の選択で男女それぞれの制服を選んでいらっしゃるでしょう。
それでいいと思います。
年齢が成長するにつれて自分の性に違和感を持ち、着ている服装についても考える子が出て来るかもしれません。
その時に、その子の思いを汲み取ってあげ、周りがそれを受け入れてあげることが、
国連が掲げるジェンダーの平等、あるいは社会的マイノリティー(LGBT)への理解に答えることになるのではないでしょうか。
昨年お遊戯発表会の劇中で、女の子に混ざってピンクの衣装を着け「花の精」役を希望した男の子がいました。
先生もクラスのみんなも何の抵抗もなくその役を認め、立派に発表していました。
どこから見ても女の子の役割と思っていたのは大人たちで、
子どもの中ではなんの違和感もなく、普通にそれぞれの役割を選択した一つだったのです。
私は気付かされました。
これが男女の格差を無くしていく始まりなんだと。
どの子がどんな表現をしていても、大人の考える固定観念で見ることなく、
そのこの気持ちややろうとしている事の真意を聞いてあげ、認めてあげることだということです。
今はSDGsがブームのようになっていますが、きちんと正しく理解しないとまた別の固定観念が出来、
益々生きにくい、生きづらい世の中になってしまいます。
まだまだ宣言を発出した側は取り組まないといけないことも多いですが、
まずはこの宣言の意味するところが教職員と子どもたちの体の中に、空気のように沁み込んで行くことを期待したいと思います。